摂食障害は、近年少しずつ社会において認知されるようになってきました。それまでは、情報が少なく、一般の市民が聞いても理解が難しい(「過食症はただのよくばりだ」とか「拒食症の人はダイエットのしすぎだ」という誤解など…)疾患でした。今では、全国の医療関係者や自助グループ・家族会、メディアの方々のご尽力によって、徐々に『雪解け』の時期を迎えたと見受けられるようになりました。
このような時期にあって、この運動の主唱者である(一社)愛媛県摂食障害支援機構は、「摂食障害にもっと理解がすすみ、身近にある疾患であると知ってもらいたい」「摂食障害は特殊な異常者がなる疾患ではない。生きづらさが蔓延している現代社会の中で、何らかのきっかけで発症するものだと知ってもらいたい。このことを、みんなで考え、みんなで幸せになっていける社会になってもらいたい」と考えるようになりました。
そこで、私たちは、わが国の過去の啓発活動を振り返ってみることにしました。
すると、様々な社会的課題や疾患の啓発に取り組む際には、シンボルとなる『何か』が必要であることに気づきました。
例えば、子ども虐待を防止する『オレンジリボン』、乳がん検診を勧める『ピンクリボン』など…。
「摂食障害に関わる人たちで共通して使えるような『何か』を作り出そう!」
そうして、私たちは試行錯誤を始めました。
色、形が他のシンボルマークに類似することなく、また、私たちだから作り出せるオリジナルなものです。
シンボルマークづくりには、摂食障害当事者をはじめとした『生きづらさ』を感じている様々な人たちの力を借りました。
そんな中、答えは私たち(機構を含む「リボンの会」グループ)が運営する『オフィスパートナー湊町ブランチ』にありました。
『オフィスパートナー湊町ブランチ』は、障がいなど生きづらさにより、今、働くことが難しい女性が、次のステップに羽ばたくための場です。
そして、そこで製造していた編み物をヒントに、オリジナルなシンボルマーク『マゼンタリボン』を作り出すことができました。
こうして『マゼンタリボン』は、まだ名前もない状態で、2018年5月に生まれました。
2018年に生まれた『マゼンタリボン』が、大きく広がることになったきっかけは、
2018年6月に開催された『摂食障害アクションディ』で紹介されたことです。
『マゼンタリボン』を作るためには、相当の手間と資材を必要とします。
そこで私たちは、愛媛県の助成を受けて活動を始めました。
この助成に採択されたことで、初年度分2000個近くのリボンを製造するための原資を確保することができました。
次に、そうして製造できるようになったリボンを、広げる場が必要でした。
そしてそのきっかけとなったのが、東京で行われたイベント『摂食障害アクションディ』です。
このイベント中、スタッフや登壇者の皆様に、リボンをつけていただくことができました。
このことをきっかけに、私たちは、様々な方面にリボンの配布と啓発活動をスタートしました。
製造開始からわずか3か月で生産数は1000個を突破し、全国の当事者や家族、支援者に広がりました。その後、これまで摂食障害に関係の薄かった自治体や福祉、学校などでも、それぞれの人たちがリボンをつけ、ポスターの掲示やパンフレットの配布に協力してくださるようになりました。
2021年には、看護師を育成する各種学校で全国的に使用されている教科書(「精神看護学2 精神看護の展開第6版」医学書院)に、摂食障害についてのカリキュラムが掲載され、その中でマゼンタリボンが紹介されました。
『マゼンタリボン』は、社会の様々な立場の方たちが、摂食障害をきっかけに助け合い、支え合える関係を作るためのシンボルです。
このリボンを身に着けてくださる方がどんどん増えていくことで、これまで摂食障害のことを知らなかった人、知っていたけど関心がなかった人は摂食障害への理解と気づきが深まり、自分や家族が摂食障害だったけど隠し続けてきた人には、少しでも心の重荷を軽くして、他者に助けを求めることができるようになることを願っています。
そして、困っている当事者や家族がいたとしたならば、回復にむかえる正しい声掛けができる、そういった人たちが身近にたくさんいるような社会を目指しています。
私たちは、摂食障害への理解が地域に広がること、地域の様々な立場の人々に知ってもらうことが大切だと考えています。
なぜなら、摂食障害の当事者は、当事者であると同時に、この社会の中で生きている存在だからです。
当事者は、病院に行けば「患者」になり、福祉サービスを受ければ「利用者」になります。
でも、それ以外の時間では、「学生」だったり「勤労者」だったり「子どもを持つ親」だったり・・・と、社会の中で生きている限り、様々な役割を持っています。そして、「患者や利用者」である時間よりも、そうした役割を担う時間の方がずっと長く、またそのような姿でいることの方が自然です。
だからこそ、社会のあらゆる人々が摂食障害のことを少しでも知っていれば、当事者や家族は「自分たちは特別おかしい存在ではないんだ」と安心することができ、生きていきやすい社会になると、私たちは考えています。
かつて、日本でも「がん」は深刻な不治の病としてドラマティックにとらえられたり、「認知症」は隠しておくべき家の恥だと考えられていたり、「発達障害」はそれそのもの自体が未知の存在だとして、「異質なもの」とレッテルを貼られてきました。しかし、それらは現在、多くの人々が知り、理解することで「あたりまえに受け入れられるもの」に変わりました。
例えば、職場の同僚や隣人、友達、趣味の仲間がそうであったとしても、偏見なく受け入れることができる世の中に変わってきているのではないでしょうか。そしてまた、仮に自分がその立場になったとしても、そのことを隠しとおしたり、強く引け目を感じたりしなくてもよい社会になっているのではないでしょうか。
摂食障害もそのように、「あたりまえ」の存在として受け入れられる社会になれば、というのが私たちの願いです。
このことは、どれだけ医療システムや福祉制度が充実し、また進歩したとしても、必要なことだと考えています。
私たちは、全員、社会の中で生きている。
だからこそ、摂食障害へのとらえかたが社会全体で向上することが不可欠なのです。