摂食障害とは、精神的な苦痛等から、食行動(食べること)に問題が生じ、正常な食事が長期間行えない状態をいいます。
近年では、嚥下障害(のみこみづらい)も摂食障害と呼ぶことから、『中枢性摂食異常症』と呼ぶこともあります。
(とはいえ、一般的にはやはり摂食障害と呼ばれます)
なお、ストレスやショックから一時的に「食事が喉を通らない」という状態は、摂食障害とは呼びません。
当事者は、数か月から数十年にわたって、症状に悩みます。その間、拒食と過食、そしてその端境期を周期的に移行することもあり、症状が良くなったように見えても精神的には辛くなったり、悪くなったように見えて回復期にあったりと、当事者、家族、支援者も症状に振り回されることで困惑しやすい特性があります。
食行動の問題から、身体には飢餓やカリウム異常など、強いダメージを与える症状が生じることが出てきます。
そのため、まずは身体的治療を必要とする状態になることが多いのですが、生命の危機的な状況を脱した後は、精神的な治療、そしてその後は社会的なケアを行っていかなければ、同じことの繰り返しになる危険性をはらんでいます。この治療については、一人ひとりその背景等にアプローチしながら進めていかなければならず、前述のとおり、周期的な変動を生じることもあるため、厚生労働省では『難治性疾患』(難病)に指定しています。
拒食症は、『神経性無食欲症』『神経性やせ症』と呼ばれ、また『アノレキシア・ネルボーザ』とも呼ばれています。
食事を極端に減らす、または摂らないことにより、身体の健康を損なうほどの体重減少が生じている状態です。
やせたことによる体力低下が大きな症状ですが、それにともない冷え性になり、また月経がなくなることもあります。
体の様々なところに支障をきたし、筋力が低下し、低血圧、低体温になると危険な状態であるとされており、それにともない、便秘や食欲の喪失、骨の弱体化が生じます。
また、精神的な面では、イライラしたり、不安が強くなったり、人との交流を避けるようになります。
ただし、本人はこの症状の時期、体重が日々減少していることに、達成感や満足感を得ている事が多く、過活動になることもあります。
ですが、どこかの時点で活動することができなくなり、入院を余儀なくされることが多くあります。
【発症例1】
Aさん(18歳・高校生・女性)
Aさんは、中学2年生のころまでは、健康的な生活を送っていました。しかし、高校受験を控えて、自分が行きたい高校ではなく、親や学校の勧めで少しレベルの高い学校を目指すことになりました。勉強ししていく中で、周囲の期待が徐々に強くなりプレッシャーがかかり始めます。模試などの点数は徐々に上がり始めましたが、その一方、Aさんはストレスを抑えるためにスナックやパンをおやつや夜食に食べ始めます。
志望校には合格できたのですが、その頃には、Aさんは標準体重を大きく超えて太ってしまいました。高校入学後、容姿のことをクラスメイトにからかわれたことからダイエットを決意。強い食事制限をしはじめたことで体重はみるみる減少していきました。「頑張ったら、体重なんて簡単に減るじゃない!」体重が減る喜びを見出したAさんは、高校在学中に両親や先生が心配するほど(周囲の友達からは「痩せてモデルみたい!」とほめられ)やせ、2年生の秋ごろにはついには月経が止まってしまいました。
身体測定のとき、保健の先生から摂食障害の可能性が指摘され、母親と精神科を受診。摂食障害と診断されました。その後も治療は受けながらも、食事をして体重が増えることを恐れ、食事制限をやめることができない日々を過ごしています。
【発症例2】
Bさん(14歳・中学生・女性)
Bさんは、食事を食べない娘のことを心配して、両親が相談に訪れました。
彼女は小学校低学年のころから、新体操の習い事をはじめました。そして、習い事から帰って食べるおやつを楽しみにしていました。
高学年になるとクラブチームに入り、本格的に練習を始め、厳しいトレーニングが課せられます。また、コーチからは体重指導もはじまり、毎日、朝練・夕練が始める際には、コーチの前で体重測定をするようになりました。
中学生になり、食欲が増加して体重が増えてしまったことで、コーチから叱られることも増えてきました。コーチからは「身長152cmなら、体重は38kg以下だ」とも言われました。
そのことがきっかけで、Bさんは食べることが怖くなりました。給食も友達にあげるようになり、家での食事にも恐怖を感じ、おやつを食べることなどもってのほかだと考えるようになりました。
彼女は、クラブチームで優秀な成績を残すことが大切で、食べたい気持ちはありながらも、我慢を続けようと考えています。
拒食症は、わずかでも体重が増えることへの恐怖を抱えているため、回復の兆しが見えるまで時間がかかる状態であると考えられています。身体的に危険な状態になった場合には入院措置を行い、点滴等で体力の回復を図るのですが、本人にとっては苦痛以外の何物でもない、と感じることが多いようです。
そのため、緊急対応として体重を回復させながら、体重減少に価値を置くようになった背景と精神的な飢えに焦点を当てることが必要です。拒食症特有の体重が少ないことへの満足感、達成感から、健康的な満足感、達成感が味わえるようケアを行うことが必要です。
その際、医療関係者や家族等、周囲の人たちとの信頼関係が大切です。
過食症は、『神経性大食症』『神経性過食症』と呼ばれ、また『ブリミア・ネルボーザ』とも呼ばれています。
一時に大量の食べ物を胃に詰め込みたいという衝動に襲われ、制御できない感覚にとらわれます。
食べたあとは、激しい自己嫌悪に陥り、後述する過食嘔吐や下剤乱用、絶食、過活動といった代償行動を伴います。
中には代償行動を行わないケースもあります。
ストレス発散のためのやけ食いから始まるケース、また、拒食症により心身が飢餓状態になったことの反動として、ある日突然やっくることもあります。ものすごい量を一度に食べるため、内臓を中心に身体に大きな負荷がかかる他、それ以上に、体重が増えてしまう恐怖に激しく襲われることになります。
過食症になると、代償行為に手を出すまでは、急激に体重が増加することがあります。代償行為をしている人は、周囲に気づかれにくくなります。このとき本人は強い自己嫌悪に襲われており、自傷行為や自殺の危険性が非常に高くなります。
【発症例3】
Cさん(20歳・大学生・女性)
Cさんは、高校時代は陸上部の選手として活躍してきました。陸上の成績を少しでもよくするため、コーチからの指示もあって非常に厳格な食事制限をしていました。あるときから月経がなくなり、その方が楽だと思う反面、食べ物のことで頭がいっぱいになっていましたが、成績も伸び、スタイルもよくなり、「まあいいか」と思っていました。その後、大学に進学します。高校卒業と同時に陸上をやめ、実家を出て一人暮らしを始めました。
最初のうちは、実家で行っていたような食事のスタイルでいたのですが、ある日、コンビニでふと唐揚げ弁当が目に入ったときに、”食べたい”という衝動に襲われました。そこから、いくつものお弁当や総菜をはしごして買い、自宅のアパートで泣きながら食べました。
これまで食事制限を続けてきたCさんにとって、この出来事は信じられないものでした。
それ以降、朝からコンビニやスーパーでお弁当や総菜を大量に買う日々が続き、食べ終わると、いいようのない自己嫌悪と苦しさに激しく襲われ、そのまま寝込んでしまう。そうした日々を送っているうちに、Cさんはだんだんと大学を休みがちになりました。
過食症になると、過食後の後悔や自責の念にとらわれ、抑うつにさいなまれるようになります。このような状態では自らの食に対するコントロール感が失われています。そのため、まずはコントロール感の回復を目指します。食事量や生活リズムなどを、本人が自らの手でコントロールできるようになることが目標で、周囲の人たちは本人の試行錯誤を見守り、応援することが大切です。
過食嘔吐は、過食の代償行為として、「吐く」ということで自己嫌悪感を解消している状態です。
過食嘔吐の状態になると、心身に強い症状が出てきます。吐くことにより、むくみ、脱水、電解質異常(低カリウム血症)、食道や胃の損傷、低血糖、低血圧の他、歯が溶けたり虫歯になりやすくなる、吐きダコができる、そして究極的には不整脈から心不全による突然死に至ることもあります。また、肝機能障害を生じることもあります。
過食嘔吐の状態は、当初は「体重増加のコントロールの手段」と考えるのですが、やがて「食べて吐く」という行為のむなしさと罪の意識から自己嫌悪が強くなり、「どうしようもないのでこうするしかない」という状態に陥っていきます。苦しみが伴うので、自傷行為の一環としてやめられない方もおられます。
食べては吐くため、いくらでも口に食べ物を入れられるようになり、食料費が異常な額に増大することから、本人または家族は経済的なダメージを受けるようになります。人によっては一日の時間の多くを食べ吐きに使うようになり、社会生活が正常に送られなくなることも少なくありません。また、「食べ吐きをしないと眠れない」と儀式のように行う方もおられます。
【発症例4】
Dさん(27才・無職・女性)
Dさんは、田舎から都会の大学に進学し、在学中2年生のときに拒食症を発症しました。大学卒業後、事務員として働いている最中に過食症に転じ、その後、体重増加をコントロールしたいあまりに過食嘔吐にいたりました。当初は過食だけだったので、終業後まで我慢をして、その後に食べるだけでよかったのですが、同僚から「急に太ったんじゃない」と指摘され、そこからインターネットを通じて得た、「食べて吐く」という方法にいたりました。
「太らないし、いくらでも食べられる」と思ったDさんは、一人暮らしであることをいいことに、夜の時間や休みの日などに食べ吐きを続けていましたが、1日に数千円から1万円を越える食費がかかるようになり、また食べ吐き後のけだるさに襲われるようになったことから、会社を休みがちになりました。やがて貯金も底をつき始め、まともに出社もできないようになったことから、時間に自由がきく仕事に転職し、なんとかやっていました。
ある日、実家に帰ったときに食べ吐きの衝動に襲われ、その現場を母親に見られてしまいます。Dさんは自分が摂食障害であることを打ち明けて、その後、仕事をやめ、実家に戻りました。今は、医療機関を受診するようになり、回復に向けて日々症状と向き合っていますが、取り乱すこともしばしばです。
【発症例5】
Eさん(38才・主婦・女性)
Eさんは、大学生の頃から過食嘔吐に悩んでいましたが、治らないまま、ずっと続いています。
26歳で結婚した時にも夫には、摂食障害のことを内緒にしていました。28歳で子ども(女児)を産みましたが、妊娠中もつわりだと嘘をつき、夫に隠れて過食嘔吐をしていました。
「”お母さん”になったら治るかな?」と考えていましたが、育児のストレスのため、ますます症状はひどくなりました。
夫には、今も過食嘔吐のことは隠しています。夫が仕事から帰ってくるまでに、過食嘔吐とその後片付けを完璧に終えておくという習慣になってしまっています。ですが、過食のための費用がかさみ、夫に嘘をつき続けることができなくなるかもしれない、という不安をいつも抱えています。
それとともに、子どもも10歳となり、「自分のような人生を歩んでほしくない」という思いも強くなってきています。
この頃は歯も欠けてきて、歯科に行くのも、ばれるんじゃないかと怖くなってきています。
過食嘔吐の症状がひどくなると、心身にダメージが及ぶだけでなく、社会的にも年齢相応の日常生活を送ることが難しい状態に陥ることが多いと言われています。本人は症状があることを見せたくないため、なるべく家族に隠していることも多いのですが、トイレが頻繁に詰まったり、可燃ごみが異常に増えたり、ごみを隠すことで悪臭や害虫が出るようになったりして、露見することもあります。
心も体も厳しいダメージを受けている状態ですから、家族は医療機関やその他の支援者の力を借りながら、長期的なケアを行える体制を作ることが必要になります。家族だけで抱え込むことがないようにすることが大切です。
アルコール依存や薬物、異性への依存その他の依存が併発して悩んでいることもあります。